テオがもたらした新しい波-
パトリック・フートとウィムソーメルスにとってグラスは商品というより、一つの自己表現の手段であったに違いない。そうでなければこのようなデザインからのスタートは難しかったであろう。当然売れることが最優先に考えられるからだ。
初めてみたのは十四年前のパリのシルモ展。その時の衝撃は今でも忘れない。他のブースと違って、テオのブース自体がまるで呼吸をしているかのように息づいていた。心音が聞こえたのだ。
明らかに何かが違う。その息づいている、そして心音の聞こえるブースの中に入って一つ一つの細胞を見て、思わず鳥肌がたった。今までとは全く違うグラスが私たちをじっと見つめていた。少し気おされた。挑発するようなデザイン見たこともない色使い。新鮮というにはあまりにも大胆なフォルムに、我を忘れて思わず買いあさってしまった。
「ありえない」が常識になる。
アグレッシブかつ挑発的なフレームデザインはまさに個性の塊。遊び心も満載
空間の歪み-テオを纏うということ
彼たちのデザインの根底にあるのは「バランスの悪さを楽しむ」という事。すべてに調和がとれているのではつまらない。アンバランスの中から、なにかその人の持っている未知の魅力を引き出せないかという考え方が常に存在している。だから時にはユーザーの顔と喧嘩することもある。
ただその喧嘩を楽しめる人がテオを纏えばよいわけだ。人生を平均して笑っているか泣いているか、そんな図り方をしない方がテオを纏うのだ。
テオを見ていると時々妙な錯覚に陥ることがある。テオのメガネのデザインって紙に順序よく描かれていったものではなく、あるメガネをぶっ潰してそれをうつして、そこからデザインを構築しているのではないか、そんな風に思ってしまうことがある。ゼロからデザインするのではなく、あるものを一度無茶苦茶に壊して、いわゆるマイナスからスタートしているのではないだろうか。そんな風にして空間の歪みを表現しているような気がしてならない。
これからもテオは今まで知らなかった未知の空間へ、時空を超えて私たちを無理矢理連れて行ってくれる気がする。それはちょっと怖いけどすごく楽しみだと思う。
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